「普通」はダメかもしれない

妖怪ウォッチの主人公ケータくんは容姿も普通だし成績も普通だし体力も普通。そんな「普通」である事を本人は嫌がってるらしい。

 

唯一の長所といえば「優しい」ところらしけど、「優しい」って言われる人はそれ以外に褒めるところがないから言われることだと思うから誇れる長所とはいえないと思う。だいたい、優しさは人間関係を築く上で絶対に必要なものだ。性格の悪い人間と友達になりたい奴なんていない。優しさはあって当たり前、最低限持ってないといけないものだと思う。それになんの取り柄もない人ほど生き残る為に優しさを持ってないといけない。なんの取り柄もない上に性格が悪かったらヤバイだろう。いじめられるよ。だから、他人に自分の長所を言ってもらう場面で優しいって言われたら長所がないって言われてるのと同じことだと思う。

 

ケータくんが「普通」であることを嫌がると言う設定は今の子ども、というか今の時代に一番ダメだとされるのは「普通」であるということなのだろうか。今までの、なってはいけない人間の代表ってドラえもんのび太だったと思う。運動も勉強もできない怠け者。いや、のび太は得意なこともあるしたまには本気出すっていう意見もあると思うけどじゃあのび太になりたいか?って言ったらなりたい奴なんていないと思う。射的の腕やあやとりやピーナツ投げ食いとかの能力と引き換えに運動も勉強もその他いろいろできない人になりたいという人はいない。部分的に見習うことはあるだろうけど、のび太ポジションになりたいという人はいないと思うのでやっぱりのび太はなってはいけない存在と認識されいたと思う。それが今では、なってはいけない人間の代表は「普通」であるケータくんになったのかもしれない。

 

たしかに普通って面白くない。短所っていうのは見方を変えてみたり環境を変えてみたり使い方を変えてみたりすれば長所になることもあるし人に親近感を与えたり勇気があれば笑いに昇華することだってできる。でも「普通」はそういうわけにはいかない。普通ってどうしようもない。「優秀」には勝てないし「弱さ」のように活用することもできない。つまんないやつ。いてもいなくてもいいやつ。ダメな奴ののび太の所にはドラえもんが来るけど普通のやつのところにはドラえもんはこない。こんなことを考えていると普通の人ってあんまり良くないんじゃないかと思えて来る。

 

じゃあ「普通」が一番ダメか?いや違うと思う。ものすごく弱いわけじゃないけど普通の人にもなりきれてない、「境界の人」これが一番ダメと思う。普通に属するべき人間なのに普通になれていない人間。自分はこの「境界の人」なんじゃないかと思うことがある。中学校高校で運動も勉強もできない人になって、打ち込む趣味も特になくて、友達もいないわけじゃなかったけど少ない方だった。クラスでいじめられるとかはなかったけど馴染めてない感じはあった。でもじゃあ落ちこぼれか?っていうと落ちこぼれにはなりきれてない気がする。学校をやめようと思うこともあったけど結局卒業しちゃったし。じゃあ普通になれるか?って言ったらなれてない気がする。普通の人っていうのはなんでもそれなりにこなすことが出来て、何か不得意なことがあって不利益を被ることがない人のことだ。それにクラスには馴染むことができる人のことだと思う。クラスの人気者とかよりは充実してないけどそれなりに学校生活を楽しめる人のことを言うんだと思う。そうすると俺はすごくやばいポジションにいることになるのではないだろうか?ものすごく落ちこぼれなわけじゃないけど「普通」でもない。のび太ではないからドラえもんは来ないし、ケータくんのように「普通」にもなれてないからたびたび不利益を被る。最悪のポジションだ。

 

普通であることはやばい、でももっとやばいのが弱者ではないが普通にはギリギリなれていない人なのではないか。生活保護とか税金とかも境界のひとが一番損するし。

 

なんとかしないとなー。